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おもひでぼろぼろ ~熱中時代~
水谷豊さんのドラマとは関係ありません(笑)。


では、前回の続きをば書かせていただきます。

不登校になり、“学校”という一番大きなストレスから解放されたわたしは、ここからますますJWにどっぷり浸かっていくことになります。“学校に行かない=一般社会では生きていけない”というのは分かっていたので、「わたしにはJWしかない。」と、「これが私の生きる道」だと、思ってしまったんですね。

学校での経験からすっかり人間不信で人間嫌いになってしまい、唯一コミュニケーションを取れるのはJW内の人たちだけになりました。世の人は平気でわたしを傷付けるし、みんながわたしをバカにしてる、JW以外の人と仲良くする必要なんてないと思い込んだ。


しかしこれが、JWの中でさえもなかなか居場所がなくてですね。
学校に行かなくなったことで、同年代の友達とも話すネタがなくなり(もとよりなかったけど)、
若い姉妹たちとの交わりというのも、全然楽しくなくて。いつもいたたまれなくてたまらなかった。

エホバの証人もたいした人たちじゃないと思い始めたのは11,2歳の頃だっけ。

集会に行くと誰もが一様に仮面を張り付けたような同じ微笑をたたえていて、気遣うような言葉とかが全部上っ面だけの薄っぺらいものに思えて、それがたまらなく嫌で嫌で。ムカついて。


今思えばこの嫌悪感はごくごく自然なものだったと思えるんですけど、当時はもちろん、自分が悪いんだと責めてばかりいました。自分の見方が悪いんだ、サタン的なんだ、こんなんじゃエホバに愛してもらえない・・・。

JW的にはそんな行き詰まりを感じていて、相変わらず家庭内はごたごたとしんどくて。
もう、みんな死んじゃえ。自分も家族もJWも、全員死んじゃえと半ばヤケクソに思ってました。


そんなやさぐれた少女ゆずぽんを救ったのは・・・、さてなんでしょう?



そう、それは特撮ヒーローでした。
ウルトラマンとか戦隊ものとかライダーとか、ですよ。


・・・なんかすごい答えを期待した方、すいません。こんな答えでスイマセン。


でもね、マジなんです。大マジ。
自分にとって大切なものって、案外他人にはどうでもよかったりするもんですよね。
あの頃のわたしにとってヒーローとの出会いは、人生を変えたと言っても過言ではないです。

ほら、ヒーロー番組ってなんかこう生命力に溢れてるじゃないですか。
前向きなメッセージ満載じゃないですか。
そんでもって主人公たちがとにかく心底、優しくて強い!

自分のような人間も、生きていていいんだと思わせてくれたというか。
こんな人になりたい!という熱い思いがこうね、メラメラと湧き上がってきた。


こっから、かなり考え方とか変わりましたね。
あと特撮雑誌とかフィギュアとかを自分でせっせと集めるようになり、ビデオを借りるためにTSUTAYAにも通うようになり(笑)、後々映画館に一人で行くようになったのも確かヒーローものの映画を観に行ったのが最初。

戦隊モノの出演者のトークショーを観に行くために前売りチケット購入して、
早起きして一人で太秦映画村まで出動したこともありました(笑)。

2000年ごろにサイトも作って始めて、かなり気合いの入った更新っぷりで。
掲示板などでいろんな人とやりとりするようになって、人間不信もだいぶ緩和されました。

とにかくヒーローきっかけでかなりアクティブになれた。


幸か不幸か(^^;)これはJW生活にもプラスになりまして、みんな死んじゃえという考えがなくなって、一人でも多くの人を助けたいなんて気持ちが芽生えて、奉仕に励むようになっちゃいました。

まあそれでも奉仕は大ッ嫌いだったですけど。
でも気持ち的にはすごく積極的になった。


そんなこんなで、調子に乗っちゃってこのまま順調にいけばバプテスマか!?
なんて思っていた14歳ぐらいの頃。


姉さん、またまた事件です・・・!

次回、ゆずぽんの進歩を阻む事件。乞うご期待。

****************************************


え~今記事で初めてゆずぽんのオタクな一面をカミングアウトしてしまいました。
正直言って特撮ネタもっと書きたかった~。
書き出したら止まらなくなりそうで、セーブするのに苦労しました(笑)。

今後の展開でこの特撮ヒーロー好きがキーパーソンになってくるので、
“ゆずぽんはヒーローオタク”というのを頭の片隅にでも置いておいてくださいませ。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

【 2009/03/04 22:32 】

| JW回想録 | コメント(2) | トラックバック(0) |
おもひでぼろぼろ ~少女時代~
少女・・・なんてガラでもなかったですけど(笑)。

さてさて今日はいろいろと変化のあった小学生時代を書きたいと思います。
長くなりそうなので2回ぐらいに分けるかもです。


“自分がエホバの証人であること”と“JW問題のせいで父がいなくなった”ことを認識し始めたのは小学校に入学したあたりからだと思います。それまでは週末だけ会う父とも変に気を使うことなくわりと仲良くやってました。サッカーを教えてもらったこともあったなぁ。

しかし、上記のことを意識し始めてからは、ダメだった。
父にも真理を知ってもらわなきゃ!という気持ちとか、母のことを分かってあげようとしなかった父への怒りの気持ちとかが芽生えてきて、どうにも普通の親子として接することができなくなりました。

で、そんな気持ちを手紙に書いて父に渡そうとしたことがあったんです。
確か5,6歳のころだったかなぁ。家でもくもくと文章を考えながら書いていたら、母が驚くほど冷静に「父さんは手紙嫌いだから読まないよ。」と言ったんです。

いや~ビックリですね(^^;)。

ガキんちょがガキんちょなりに、小さな脳みそ振り絞ってるわけですよ。
そこへバッサリと一刀両断するかのような一言ですよ。
きっと母もその頃はもういっぱいいっぱいで子供を気遣う余裕なんてなかったんだと思うんですけどね。今なら、それも分かるんですけど。だから別に根に持ってないんですけど。ほんと、全然。

しかし子供心にはすんごいショックで、書いてた手紙をぐちゃぐちゃにして大泣きです。
「エホバー!父さんが分かってくれますように~。」とか叫びながら。
相当イっちゃってる子供です(汗)。こんな子供いたら恐いですよ。自分だけど。

問題の根本は他でもない“エホバ”なんですが、当時は父さんさえ話を聞いて受け入れてくれたら解決するんだと信じてましたからねぇ。その思い込みはJWをやめる頃まで続くんですが・・・。


そんなこんなで、父への愛情みたいなものは小学生時代から薄くなった気がします。
父が理解を示さなかった分、自分が母と一緒にJWとして頑張らなきゃと。


そんな子供だったので、やたら正義感が強くて自分の価値観を押し付ける傾向がありまして、
クラスメイトには鬱陶しがられることもちょくちょくあったんですが、それでも結構うまくやれてました。
なんせその頃はまだ、持ち前の明るい活発な性格が失われてなかったのでね(笑)。

しかし、家庭内はやっぱりなかなかどうして辛い環境で・・・。
あの頃はとにかく兄も母も精神的に不安定で、子供ながらに心中するんじゃないかと本気で思ってました。きっと自分が学校に行ってる間に、2人で死んじゃうんだと。学校に行く前になると、不安でたまらなくなっていっつも「行きたくない~」と思ってたんですが、不思議と学校の敷地内に入ってしまうと不安も消えちゃうんですよね。とにかく朝だけがいつもしんどかった。


1年生ぐらいの頃、ある日たまたま夜中に目が覚めたら、母と兄がいなかったことがありました。
あの時の恐怖感ったらもう、いまだにハッキリ覚えてます。パニックになって、でも真っ暗な外に探しに行く勇気もなくて、「もう帰ってこないんじゃないか」という考えを誤魔化すために、一心不乱にゲームボーイのマリオをやりまくって・・・。確かあの夜のうちにクリアしたんじゃなかったっけ(笑)。

気になる2人の行方は、なんてことないTSUTAYA行ってただけという・・・。

“脱力感”というのをあの歳にして初体験しました(笑)。


なにはともあれ、それから4年生ぐらいまでは担任にもクラスにも恵まれて(同じクラスにJWがいたので証言も2人でできたし)それなりに楽しく、JW的にも模範囚・・・もとい模範的で注解にも奉仕にも活発に参加するという、まあまあ良い感じの人生でありました。

思えば3,4年の頃が一番友達も多くてサッカー漬けの毎日で、JWの方でも晴れて伝道者となり、
まさしく人生のピークだったかもしれません。


5年生に入った頃から、早くも下り坂を転がり落ちていきます(爆)。

「この先生だけは死んでも嫌だ。」と目を付けてたヤツが担任になり、クラスも最悪。
5年生ともなると、男子と女子がなんとなく意識し始め、これまでのように「サッカーやろうぜぃ!」なんて雰囲気もなくなってしまい。女友達をほとんど作ってこなかった自分は見事に居場所がなくなり。

たぶん、この頃からJWの子供特有の、変に大人びたところと幼稚さのアンバランスさみたいなのが、
だんだんと“変なヤツ”というオーラとなってクラスメイトに認知されるようになってきたんじゃないかと。
悪いことにこの頃から自分の中でも「自分はこんなバカどもとは違う。選ばれたエホバの民なんだ。」みたいな自意識も強くなってきちゃった気がする。

実際、JWを抜きにしてもそのクラスは学級崩壊で、担任もストレスで参っちゃって、
他の先生に代わってしまったぐらい。

大人が参るなら、わたしも参るわい!ってことで、晴れて5年生の春、ゴールデンウィーク明けから不登校となりました。

まあ、低学年の頃から不登校の片鱗は見えてましたからねぇ。
それまでエンジョイできてたのは、奇跡的に環境に恵まれてたおかげでしょう。


不登校になる前後は本当に毎日死にたくて死にたくて、学校もしんどい家もしんどいって感じで。

しかし、不登校という道が正解だったのかは分からない。
おかげで学歴コンプレックスとも長いお付き合いになってしまったし(^^;)。

それでも、その時はそれしかなかったんだから、しょうがないとも思う。
それでしか自分を救えなかったんだろうから。



なんだかんだで勢いで1回で書いてしまいました。
暗い上に長文になって申し訳ないです!

次回、いよいよ引きこもり時代に突入です。まだまだ暗い話が続きます(苦笑)。

どうか皆様、あまり神妙にならずお気軽にお楽しみくださいね(無理ですか?w)。

テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

【 2009/03/02 12:21 】

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おもひでぼろぼろ ~幼少期~
書く書くと言いながら、なんだかんだでずっと放置していた半生記。

ゲハジさんからリクエスト(?)を頂いた、兄(チェルベロ)の説得を受けた時の心境を語る前に、
ざっと自分のJWライフを振り返って整理したいなぁと思いまして、やっとこさ書く気になりました。


しかし、なんかねぇ、昔を思い出しながら書いてると泣けてきたりするんですね。
それがすごく嫌なの。自分の文章に酔ってるようで。
自己陶酔&自己憐憫になっちゃって、すごい恥ずかしくなってくるんですよねぇ。

そんなわけなので、なるべく簡潔にドライな感じで書いていきたいと思います。


それでは幼少期からいってみましょうかね。


**************************************


父と同じ家に暮らしていた記憶って、ほとんどありません。
たぶん幼稚園に入る前にはもう出て行ってたんじゃないかな。

あ、一つだけ思い出すのは、3、4歳のころかなぁ。
父がいる前で賛美の歌を歌っちゃって、急に怒り出した父が襖をボコボコのビリッビリに破いちゃったというエピソード。・・・我ながら超KYなことをしたもんだと思う。


幼稚園は、楽しかったような地獄だったような、とても複雑な記憶です。
友達づきあいは今よりもむしろこの頃の方が上手かった気はするんですが(苦笑)。
この頃から同性よりも異性との方が仲が良かった。
気の強い女の子から子分扱いされるというか、なぜか対等に付き合えない・・・。小学校でも女友達には恵まれなくて、いまだにトラウマですね。同年代の同性には警戒心と恐怖心がすごく強くなる。

まあそれでも幼稚園の友達づきあいなんてそんなに深刻なものでもなく、それなりに楽しくやってました。しかし、一番大きな問題がやはりイベント事での先生への証言。節分、端午の節句、誕生日会、七夕、クリスマス・・・。幼稚園は特に毎月のようにイベントがありました。

わたしの在籍していた【そら組】さんの先生は、とにかく見た目が鬼婆で。
幼稚園の先生といえば今時は若くて綺麗なお姉さんが主流じゃないですか!
あの当時は結構恐げなおばちゃん先生が多くて、特にそら組さんの先生は・・・。

幼いながらに、証言する前にはおなかが痛くなるほどのストレスを感じておりました。

証言とか関係なくても、先生が本当に恐くて、「トイレ」の一言が言えずにおもらししたことが2,3回あります。一度はみんなで座ってお絵かきしてる最中だったので、あわよくば隣に座ってる子のせいにしようかと思ったんですが、明らかに自分の下から放射線状に広がっていたので無理でした。


そんなこんなありましたが、元気で活発でスポーツ万能!てな感じの評価を受けるような、
総じて良い感じの幼稚園ライフでした。

証言はしんどかったけど、それ以外のJWによるしんどさもあまり感じてなかったし。
わたしの頃にはムチもそれほど厳しくなかったですしね。

ただやっぱりテレビには厳しくて、一週間で合計3時間しか見ることを許されませんでした。
7日で3時間てひどいですよ。日曜日にちびまる子ちゃん~世界名作劇場まで見たらもう2時間ですからね。おばあちゃん家で隠れて見たりしてました。一度ドラゴンボールかなんか見てるのを発見されて、ムチ7発喰らったことがあります。


そういえば、この頃に母親の開拓者学校がありまして。
2週間何人かの姉妹のお宅に預けられましたねぇ。
これがまたすっごく嫌でした。恐い姉妹の家ばっかだったし・・・。

なんと言っても、一番母親に甘えたい時期に2週間もの間引き離されるというのは、酷ですよね。
「ハルマゲドンが来る時はお母さんとも離れなくちゃいけないのよ。」なんて教えられてたので、
これは予行演習なんだ!とか思って我慢してましたが。


こうして見るとやっぱりあまりいい思い出のない幼少期ですが(^^;)、
もっとぼろぼろになるのはこれからです。


次回、暗雲立ち込める小学生時代。お楽しみに。

テーマ:今日のつぶやき。 - ジャンル:日記

【 2009/02/27 23:37 】

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