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おもひでぼろぼろ ~ちとグレる、そして更生~
バプテスマへ向かってイケイケな勢いをぶち壊した事件とは。


そう、“合併”

成員が50人を切るほど少なくなったため、吸収合併されることとなったのです。
物心ついた頃からずっと在籍していた会衆だったので愛着もあったのに、問答無用で消滅させられることになって、当時はかなり不満を抱いたものです。これじゃ経営不振の会社と同じ扱いじゃねえかよ!と。

まさにそのとおり!と当時の自分に言ってやりたい(笑)。

とにもかくにも、自分の会衆が消えて吸収されるというのは、普通の合併なんとなくプライドを傷つけられた感じがして、モチベーションもだだ下がり。しばらく「ガッペむかつく!!」が口癖になってました。←これエガちゃんでしたっけ?w


加えてこれまでは家庭環境のこととか不登校であることとかが暗黙の了解的に認知されてたのが、合併後には半分以上が知らない人になってしまったため、物凄く居心地が悪くなり、これからいちいち聞かれるたびに説明しなきゃならんのかと思うともうもう、集会なんて行く気が起きなくなってしまい・・・。

JW生活15年目にして、初めてグレました。

奉仕にはほとんど行かなくなり、集会にも何かと理由をつけては休むようになり。
それでも、ズル休みし続けるのは滅ぼされるのが恐くてできませんでした。

とこっとん小心者だったんですね。今でもだけど(笑)。


そんなこんなでやる気のないダルダルな2世って感じだった15,6歳の頃。
集会ではいつも“話しかけるなオーラ”を出していたにも関わらず、何かと気遣って声を掛けてくれる一人の姉妹がおりました(C姉妹と呼びます)。合併後、それまで自分の会衆にはいなかったタイプのケバいネエちゃんたちが増えた中、そのC姉妹だけは地味めで気後れしないで話せる人でした。

心を許したわたしは、その姉妹の援助を受けることになりました。
週一で研究をしてもらうことに。


それまでの間にも2人の姉妹(A姉妹、B姉妹)と研究をしてもらった経験があったのですが、
これが見事にどちらも最悪で(^^;)。

A姉妹との研究はまだ小学校行ってたころだったかなぁ。
とにかく、理想の答えを言わせようとする姉妹で、ちょっと正直な感想を述べると顔は笑ってるんだけど目が笑ってないという、あのJWがよく見せる嫌な表情をしてくる。それがムカついてムカついて、いつしか相手が望む答えしか言わないようになっていきました。

B姉妹は、献身したてみたいな10代後半の姉妹で、今思うと完全に練習台にされたなという。


そんな2人の姉妹の研究でもう懲り懲りだったんですが、もう一度だけC姉妹と今度は良い子ちゃんぶるのはやめて真剣にガチで研究をしてもらってみようと思ったんですよね。

実際、C姉妹はわたしの正直な感想や意見もいつも黙って聴いてくれて、正直「この人分かってんのか?」と思うこともあるにはあったんですが(^^;)、それでもちゃんと聴いてくれるだけでも嬉しくてかなり心を許してました。

C姉妹との良い関係がきっかけで、集会にもちゃんと全部行くようになりました。

3冊目ぐらいに『永遠に生きる』の赤い本をやってたんですけど。
わたしはそれまでイエスの購いの話がどうにも好きになれませんでした。
なんでイエスばかりがそんな苦しくて痛い思いをいしなきゃいけなかったのか、エホバがなんとかしたればええやないかと、どうにも納得いかないものを感じておりました。

あとあと、アダムとエバが反逆した時点で、やり直せばよかったじゃんとも思ってました。


この2点の疑問を、C姉妹にぶつけて、結果まんまと言いくるめられちゃったんですねぇ。

「イエスは他のみ使いに任せることもできたのに、自ら進んで犠牲になることを望んだ、
エホバもそのイエスの意思を尊重して犠牲となることを許されたのよ・・・」みたいな、そんな2人の熱い親子愛と絆をこんこんと説明されて、「そうかぁ!そんなエピソードがあったのかぁ!!」なんて感激しちゃったんですねぇ・・・。


あああ、なんてバカなんでしょう。
でもさ、この手の話ツボだったんだよね。親子愛とか家族愛とかさ。

今思えば、その手の話にわたしが弱いと分かった上で、そこを脚色して説明されたんじゃなかろうかとも考えられるんですけどね。だってエホバとイエスがどんな会話したかなんて正確には分かりっこないんだから、研究生が好きそうな話にアレンジしちゃえばいいんだもん。


アダムとエバを即刻滅ぼさずに、長い間人類が苦しむようにされたのはなぜか?
という疑問に関して返ってきた答えは、“判例”という言葉でした。
判例という表現は確か『永遠に生きる』の本に出てきましたっけ?

それまで聞いたことのない言葉で、すごく新鮮に感じてしまったんですね。

で、これまた“正義”とか“公正”がやたら好きだったわたしにとっては、ツボな説明でした。
2度と同じ歴史(過ち)が繰り返されないように、わたしたちが身を持って判例を作らないといけないんだと。わたしたちの判例が、神の法廷で大きな役割を果たすんだ、と。


・・・こんな説明で、その時は「よっしゃ頑張る!」となってしまったんですねぇ。
お恥ずかしい限りです(TT)。


でもそれで納得したその頃の自分の気持ちも、分からないではないんですよね。

それまで恐いだけの存在だったエホバとイエスを親子としてリアルにイメージできたのも大きかったし、「自分はこのために生きてるんだ!」という役割や使命感を欲してた時期でもあったし。

そういう心の隙間にストンと入っちゃったんだろうなぁと。



こんないたいけな若者の心の隙間を狙って入り込んでくるなんて、
ほとほと罪な宗教だと思います。


ま、そんなわけで合併で盛り下がったモチベーションがまたもや浮上してきてしまいました。
そのままなんとなく離れとけばよかったのにね~(苦笑)。


おっと、またまた超長くなってしまいました。
今日はこのへんで。

明日は親戚の結婚式なもんで、早く寝なければ!
結婚式参列なんて初体験なんですが、大丈夫でしょうか・・・。
なんとか楽しそうに見えるように頑張ってきます。
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テーマ:ひとりごとのようなもの - ジャンル:日記

【 2009/03/06 17:54 】

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